「マリア様が見ていない部分を書きたい」南木義隆さんの今までとこれから
構成/松浦恵介 協力/隼瀬茅渟
前編に引き続き、『月と怪物』でセンセーションを起こした南木義隆さんと、担当編集者の溝口力丸さんのお話を伺っていきます。
後編では、『月と怪物』という異色作を生んだ南木さんの経歴や人柄に迫ります。百合カルチャーとの出会いや、影響を受けた作品、少年時代の思い出などを、縦横無尽に語っていただきました。
高校を中退し、無職に
──アンソロジー収録の経緯と作品について前編でお聞きしました。後半は作品についても反映されている南木さんのパーソナルな部分と、百合への思いについてお聞きしたいと思います。まずは簡単なプロフィールをお教え頂けますか?
南木:前述の通り1991年生まれ。大阪で育ちました。南部の少々荒れた地区でしたね。不良が多いし、だんじりで死人が出たり。
──南木さんの学生時代はどんな感じでしたか?
南木:小学校から不登校気味で、中学校もろくに行かず、友達もほとんどいなかったので、本を読んだり音楽を聴いたり。授業に出ず、勉強もしなかったので成績は最悪でしたね。
──高校以降は?
南木:なんとか入れたところは、「校門を出て5メートルくらいのところに体育教師が立っていて、校門から10メートル離れたら煙草を吸ってOK」という不文律がありました。
溝口:いやいや、体育教師からは見えてますよね、それは?
南木:まぁいちいち注意するのも面倒でしょうから。観測されなければOK、シュレーディンガーの喫煙です……今SFっぽいこと言おうとしてスベりましたね。
当時のWikipediaの「著名な卒業生」欄は有名AV女優1人しかいない、ただその女優さんは本当に超有名、というのが当時の男子生徒の持ちネタでした。でも先日久しぶりに見たらその女優さんは削除されて、単独で項目のないスポーツ選手なんかが書かれていて……今度僕が編集し直そうかな。
まぁそんな高校もすぐ留年して退学。23歳で大学進学のために上京するまで無職ですね。ちょこちょこバイトするくらい。百合のための小遣い稼ぎですよ。
──無職生活はどのような日々でしたか?
南木:図書館やレンタルビデオショップやブックオフで時間を潰したり。平日昼間のブックオフは僕以外ホームレスだったりして。というか無職とホームレスしかいなかったんじゃないですかね。だんだん顔なじみになって「うわ、あいつ今日もいるわ」みたいな。古本屋で立ち読みしていた話をするのもどうなんだって話ですが、百合マンガ以外を買う余裕がなくて。
最寄りの図書館はきれいで、昼はソファー席に陽がいい感じに差すんですよ。そこで老人たちが新聞片手に居眠りしていて、たまに老人ホームにいる気分になりました。
きっかけは「同人誌に誘われて」
──そういった環境で、創作に目覚めたきっかけはなんなのでしょう?
南木:インターネットですかね。2009年にTwitterアカウントを作って、当時の僕といえば、人の悪口、社会への文句、あと百合のことしか書いてなかったんですが、そこで付き合いのあった方から「文芸同人誌を文学フリマに出すから、何か書きませんか?」と誘いを受けました。
そのとき僕は「世の中の悪口、もしくは百合しか書けないです」と答えたのですが、「それをどちらも書くと文芸になりますよ!」と言われて、で、そういう短編を書いて載せてもらって。それをきっかけに、文章を書くのが楽しくなってきました。『月と怪物』も冷静に考えたらそういう話ですよね。
──どうでしょう(笑)。『月と怪物』も元は同人誌に収録されたものですよね。
──ちなみにどんなアルバイトをされていたのですか?
溝口:倉庫のバイトというと、『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』(光文社)に出てくるような仕事ですか?
南木:そうです。あの本に書いてあることはほぼ共感するんですが、好ましい点もありました。アマゾンの倉庫のバイトって、仕事中に誰とも会話しなくて良いんですよ。出勤してタイムカードを通し、AIが搭載された専用端末の指示に従うだけ。気楽でしたよ。
面白いのは、在庫の並びがアマゾンのAI独自の順番になっていて、例えば本もCDも五十音順とかではないんです。人間には法則の読めない棚を、AIの最効率に従ってものを運ぶ。ちょっとSFじみているなと思いました。
──さて、そんな無職生活に終止符を打ち、 東京に出てこられたきっかけは?
南木:アルバイトも長続きしなくなって、本格的に引きこもり始めたら、母親から「23歳と言えば大学を出た人は新卒1年目で、高卒で働き始めた人なら社会人5年目だけど、あんた本当に今後どうするの?」と怒られまして、就職か進学か迫られて。消去法で進学です。上京したのは、ネットで出会った友人の多くが東京にいたからとか、他にもまぁ話しづらいことも何かとあって(笑)。
──大学はロシア文学関係に?
南木:都内でロシア文学科が設置されているのって超名門だけなんですよ。手が届くわけがない。入れるとこに入ったので文学部ですらなかったです。経済系で。現代文だけの入試でしたが。
そういえば設問は蓮實重彦さんの文章で、蓮實さんの北野武監督についての批評を熱心に読んでいたから受かったようなものですよ。全然映画とは関係ないエッセイでしたが。
──希望通りの進学とはいかなかったわけですね。大学生活はいかがでしたか?
南木:ほかの学生の人たちと年齢が離れていることもあり、居心地悪く感じて、ほとんど行かなくなってしまいましたね。初回の授業で席に座ると「先生かと思った」「私も」と女子学生にくすくす笑われたり。聞こえてるぞって。やがて中退しました。
──その後、東京ではどんな生活を?
南木:ふらふら生きてましたよ。ヒップホップにハマって、当時住んでいた国分寺でサイファー(※)の輪に加わってラップしたり、MCバトルにエントリーして高校生にボコボコに負けたり。友人にライターの仕事を振ってもらったり。風変わりな仕事としては、ホスト向けのファッション雑誌なんてのもありました。
──その間も、ずっと創作は続けていらしたんですよね。
南木:うーん……。正直、結構悩んでいました。友人からは「作品よりも無職生活の話の方が面白い」「百合を書くのをやめろ」「『アマゾン倉庫人間』で芥川賞を狙え」などと言われて。そのとき、ちょうど百合文芸小説コンテストの存在を知って、応募したんです。
『百合姫』のことは、前身の『百合姉妹』創刊号からバックナンバーを持っているくらいの愛読者でした。そんなこともあって、「『百合姫』の小説コンテストに応募して、ここで引っかからなければ、俺には百合の才能がないと諦められる」と思ったんです。新作と、あと既発の作品の応募も受け付けていたので友人から「踏ん切りをつけるために今までで一番自信のあるものを送れ」と言われて。
──結果としてご友人の判断は正しかったわけですね。
南木:ですね、感謝しています。もっとも昔の自分に今の自分が負けた形なので、一貫して複雑な気持ちもあります(笑)。
『マリみて』のシェアワールド?
──では、そもそも百合にハマったきっかけはなんですか?
南木:うーん、「BLの素養と、戦う女性のイメージが、自分の中で有機的に合体したから」でしょうか。
僕は百合より先にBL文化の存在を知ったんですよ。というのも、母親がしばしばBL小説やコミックを読んでいて、僕は小学生のころから家の本棚にある本を片っ端から読んでいたので、そこでいくつかの魅力的なBL作品と出会いました。秋月こおさんの小説であったり。この素養は往年の少女マンガを読む際にも有機的に機能しました。
僕にとって、それらは世間のヘテロセクシズムに対する違和感のオルタナティブとして非常に納得できる価値観を提示してくれました。
──ではもう一方の戦う女性のイメージの方はどのようなものでしょうか?
南木:ジェンダー規範に違和感を覚えながら、同時に所謂男性的なフィクションにも強く惹かれてきました。レイモンド・チャンドラーの小説から、『仁義なき戦い』シリーズまで。そうしたフィクションに触れるほど、「男性がやってカッコいい動作を、女性がやっているのを見たい」という思いを抱くようになったんです。
『荒野の七人』でジェームズ・コバーンがかっこよくナイフを投げるシーン。あのシーンに血が騒ぐのと同時に、「このシーンの女性版が見たい」とも思っちゃうんですよ。そしてとりもなおさず強く男性的なフィクションは、時にホモソーシャルと語られるように多分に同性愛的な熱量を帯びてくる。だから二次創作ジャンルで好きな作品にBLのように女性同士のカップリングが存在する、と知った時は狂喜乱舞しました。13歳くらいのときかな。
──少女マンガもお好きなようですが、前述の考えに影響を及ぼしましたか?
南木:母や妹の本を借りて読んでいたので、1人暮らしになって以降は中々読めていませんが……。
やはりバトル要素のあるカッコいい少女マンガが好きでしたね。特に名を挙げるなら田村由美さんの『BASARA』や、樹なつみさんの『OZ』が大好きです。どちらもアクションものとしても、そしてSFとしても超一級です。そしてBL的な要素が不可欠なものとしてある。
──BLが下地にあったということですね。では百合に目覚める決定打になった作品、もっとも印象的だった作品はなんですか?
南木:ちょっと逆説的に感じられるかもしれませんが、今野緒雪さんの『マリア様がみてる』(コバルト文庫。以下『マリみて』) です。
──『マリみて』には、並々ならぬ思い入れを抱いていらっしゃるとお聞きしております。
南木:僕は自分で百合小説を書くとき、「これは『マリみて』のシェアード・ワールドです」と時々言うんですよ。
──あの、すみません。それ、ちょっと説明してもらって良いですか……?
南木:もちろん冗談ですよ(笑)。けれど、僕は『マリみて』も僕の作品も、同一の世界で起こっている話なんだとしばしば思い込んでしまうことがあるんです。同じ世界なんだけど、「マリア様が見ている」部分で起きているのが『マリみて』。対して、僕が書くべきなのは、そこからこぼれ落ちた「マリア様が見ていない」「マリア様が見過ごしている」部分の話だと思っているんですよ、勝手に。
──要するに、同一の世界だけど、今野緒雪さんが描くような、私立リリアン女学園での可愛らしい出来事が「マリア様が見ている」部分、南木さんが描く、南米の麻薬カルテルがどうのこうのという話は「マリア様が見てない」部分だ……という話でしょうか?
南木:そんな感じです。今野先生に怒られないか心配ですが。
──それではそんな思い入れある『マリみて』で特に好きなキャラクターは誰ですか?
南木:一番好きなのは細川可南子です。彼女は父親のせいで男性不信になっており、敬愛する先輩に虚像に近い崇拝の念を抱きます。完全に清廉なる存在への依存、とでも言ったような。僕は自身が片親で育ったという境遇も手伝って、細川可南子には共感を抱きました。これは百合として描かれたからこそ抱いた共感の念だと思っています。
──作品総体としての『マリみて』のどういうところが魅力的なのでしょう?
南木:意外と生々しいありありとした生活の質感、でしょうか。僕は上京して最初は国分寺に住んだので、マリみての舞台とされる武蔵野の辺りをよく散歩したのですが、大岡昇平の『武蔵野夫人』などと共に、リリアン女学園の存在がありありと浮かび上がりました。
それと僕の中では、「『マリみて』は百合のすべてを書きすぎた」というのがあるんですよ。『マリみて』があらゆるパターンの百合を書いているため、ほかの作家が百合を書くときにはそこからの跳躍が求められる……と(笑)。
──「すべてのギター・リフはレッド・ツェッペリンが書いてしまった!」みたいな感じでしょうか(笑)。
南木:かもしれません(笑)。あるいはビートルズでもマイルス・デイヴィスでも。「お姉さま」「スール」という概念が膾炙し過ぎて、マリみては耽美なものだ、と決めてかかってる方もいるかもしれませんし。それもまた事実の一つですが、長大な小説世界では僕が今語ったように、あらゆる百合が展開されていることに留意したいです。
──大河的な作品としての『マリア様がみてる』といったところでしょうか。
南木:そう。あるいは群像劇としての。百合が好きな人なら、『マリみて』を読んだことがなくても、1度読めばどこかには何か懐かしさを感じるのではないか、と思います。実際に女子高を扱った百合作品は直接的、間接的に大なり小なり影響を受けている……あるいは敢えて離れるだとか、一つのカルチャーの大きな部分を完全にフィックスさせてしまっているでしょうから。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスは偉大なる古典の定義について「読む前から懐かしさを感じさせるもの」という風に語りましたが、そのような感じです。
今の目標は『S-Fマガジン』に載ること
──さて、話題があらゆる方向に飛んだように、いろいろな分野に関心を持っている南木さんですが、いま最も注目している作品やクリエーターを教えてください。
南木:『サウダーヂ』『バンコクナイツ』の富田克也監督の新作は常に気になります。例えば僕が大阪でアルバイトしていて抱いた実感のような、現代アジア的な視座を最も的確に描写できる方だと思います。
村上春樹さんが2009年のインタビューでアメリカ文化圏やヨーロッパ文化圏に次いでジャンルと国境を跨いだ大きなイースト・エイジアン・マーケットのようなものが出来つつあると語っていて、実際にラッパーのKOHHさんが韓国や中国のラッパーの曲に当たり前のように客演しているのを見ると頷ける。富田監督は、そのように広くアジアを捉えた上で物語を作れる作家として尊敬しています。
──百合ジャンルではいかがです?
南木:折角ですので、敢えてマンガとアニメ以外で。
まず写真家の長谷川圭佑さん。マンガの原稿が多い「百合展」に写真で参加するなど、独自の道を切り開かれている。長谷川さんがプロデュースしている「tipToe.」というアイドルグループがあるのですが、百合カルチャーが培ってきたビジュアルイメージを上手に取り込んでいると感じていて、興味深く見ています。
それとご縁があって翻訳出版のクラウドファンディングへコメントを寄せさせて頂いた「百合ではない10代のレズビアン青春小説」こと『The Miseducation of Cameron Post』が無事目標を達成して出版されるので、非常に楽しみにしています。
──『アステリズムに花束を』の発売後、生活に大きな変化はありましたか?
南木:これをきっかけに『小説すばる』でエッセイを書かせて頂けたり、献本が送られてきて「本をタダでもらえた!」とか。と言っても生活レベルでは昨日も夜まで仕事していて「うわ、めっちゃ眠い、今日話せるのか?」という感じですが(笑)。
個人的に嬉しかったのは、無職時代にバイトの面接を受けたら根掘り葉掘り僕の来歴を聞いた癖に落とした地元の本屋に、帰省の折りに立ち寄ったら本が並んでるのを見たときですね。単著でもないのに不遜ですが、ざまあみろみたいな(笑)。
あ、でも「生きてたのかお前!」みたいな連絡途絶えてた友人から連絡が来たり、活字ってすごいなと思いました。
──では次は単著を並べさせてやろう、みたいな気持ちもあるのではないでしょうか?(笑)。
南木:ははは、はい、それはもちろん。
──なにか具体的な予定はありますか?
南木:うーん、いくつかお声がけ頂いたりもしたのですが、さっき溝口さんがおっしゃられたように新人賞をとるのが最良でもありますし。いずれにせよ、まだ具体的に話せる段階には来ておらずという感じです。
──わかりました。では今後小説を書くにあたり、構想や挑戦したいテーマのようなものはありますか?
南木:アメリカです。「東側の次は西側だ!」ってわけではなく(笑)。『The Miseducation of Cameron Post』へのコメントで書いたような、「我々の知る古き良きアメリカ」について自分なりに書いてみようと思っています。
目標としては、SF短編を『S-Fマガジン』に載せてもらうこと。依頼はまだ来ていませんから……(笑)。「SFを書くなら、ロシアからは少し外れて、中央アジアあたりを舞台にするのが良いかな……?」と考えています。『月と怪物』の続編はあり得ませんが、同じ世界観を持ったものはなんとなくのイメージがあるので形にしたいですね。
──最後に、『月と怪物』を読まれた方、これから読まれる方に一言お願いします。
南木:どれにも感謝したいですが、その中でも1番うれしかったのは、「この小説の作者には正体不明でいてほしかった」という感想です。本当に心からうれしかった。
それもあって、こういうインタビューを受けるのもなんだか申し訳ないような気がするんですが、一切がなりゆきのままこうなってしまったなという感じです……不慣れなので、色々てんぱったり。
──南木さんご自身が怪物に翻弄されているでのしょうか(笑)。
南木:百合という名の(笑)。しかしこんなに長い時間取ってもらいましたが、「百合が俺を人間にしてくれた」 (※)みたいなパンチラインは出せなくて、ちょっと面目ないですね。
溝口:いや、それは別に狙わなくていいです(笑)。
百合文芸小説コンテスト開催中!
『月と怪物』で注目を浴びた“第一回百合文芸小説コンテスト”ですか、現在第二回が開催中です! すでに多くの作品がエントリーされており、すべてpixiv上で読むことができます。
なお、作品のエントリーは2020年1月9日まで受け付けておりますので、「我こそは!」という方はぜひエントリーしてみてくださいね!