人の数だけ好みがわかれる「夢小説」/カレー沢薫のpixivタグ検隊
文/カレー沢薫
今回のテーマは「夢小説」だ。
今まで私は「BLには詳しくない」「百合弱者」と言ってきた。
じゃあ何だったら詳しいのだと、激しい拷問で問い詰められたら、おそらく「夢……」と答えるだろう。
「夢」の定義やルールは、ある意味どのジャンルよりもややこしい。
ビクシプ大百科の「夢小説」 項目も非常に文字量が多く「各自読んでくれ」としか言いようがない。
それでもあえて「夢」を一言でいうならば、原作には登場しないオリジナルキャラクターが中心となり、原作キャラクターと密接に絡む創作のことである。
主に恋愛関係になるものが多いが、それ未満でもオリキャラが出ていれば、とりあえず「夢」に分類される。
物語の中に自分や自分の作ったキャラクターを投入し、キャラと恋愛したり、無双したりハーレムを作るという妄想は、脳内でなら古代エジプト時代から行われていたと思う。
パピルスにも書いてあった気がする。
「夢」という文化は昔からあり、大きな声では言わないが嗜む者も多かった。
それが一気に普及し「夢小説」というジャンルが確立したのは「名前変換機能」の登場が大きい。
名前変換機能とは、乙女ゲーの主人公の名前が変えられるように、cookieなどを使い、小説の主人公の名前を読者が自由に変えられる機能である。
もちろん自分の名前を入れて「キャラ×自分」を楽しむことも可能だ。
しかし夢創作のややこしいところは、必ずしも「オリキャラ=自分」ではない、という点だ。
二次創作にオリキャラが出る時点でありえないしどうでも良いと思う人もいるだろう。
そういう人は、ここからさらに死ぬほどどうでも良くなるので、読まなくて良い。
このように「夢」というジャンルはオリジナルキャラクターが主役級の扱いで原作キャラと絡むという時点で、非常に好みの分かれる世界である。
もはや夢小説は読ませることより、いかに受け付けない人が間違って読まないようにするかの戦いなのだ。
「オリジナルキャラとの恋愛を見守る第三者タイプ」
夢小説の種類の話に戻る。
乙女ゲーでもヒロインの名前に自分の名前をつける者と、
「瀬戸内寂聴」とか自分以外の名前をつけるタイプに分かれる。夢小説もそれと同じだ。
前者は「キャラ×自分」のいわゆる「自己投影タイプ」である。
後者は、「自分はヒロインではなく、あくまでキャラと寂聴(仮)との恋愛を見守る第三者タイプ」である。
つまりBL好きが「壁のシミになって二人を見守りたい」と言うのと方向性は全く同じである。
どのジャンルでも壁のシミは大人気職業なのだ。
私などは、拷問されれば「拙者…夢者にごさる……」と吐いてしまうが、普通に聞かれたら「性質の悪い男女カプ厨っすね」と答える。
原作キャラ同士で男女カプが作れるならば、まずそれを壁のシミとして推していく方針である。
だが作品によっては「どう頑張っても推しにカプをつくれるような相手が存在しねえ」ということもある。
「そもそも女性キャラがいない」「いるけど原田ウマ子 」ということも珍しくない。
しかし「俺はどうしても推しが誰かと恋愛をしている様を、壁のシミとして見守りたい」という欲求が抑えきれないときがある。
そんなときに救世主となるのが「夢小説」だ。
推しとカプになるような相手が原作にいないなら、自分で作ってしまえホトトギス、というやつである。
この「ないなら俺がつくるんだよ精神」は、創作のみならず、文化の発展に必要不可欠なものである。
このように、第三者としてオリキャラと原作キャラの交流を見守るタイプは、「自己投影型」に対し「創作キャラクター投入型」と呼ばれるようだ。
ただ、二次創作のオリキャラが苦手な者にとっては、オリキャラに自己が投影されているかどうかなど知ったこっちゃないので、総じて「夢」と呼ばれることが多い。
もちろんこれは私のケースである。全員が、原作に目ぼしい相手がいないから代替えとして夢をやっている、というのではない。いたとしても創作キャラを使った夢をやる人もいる。
また、原作で明確に推しが原作キャラとくっついていても「推し×自分」を覆さない人だって当然いる。
そこは完全に好みであり、自由だ。
好みの“夢主”探しも楽しい「自己投影型」
pixivに投稿されている夢小説はどちらかというと「自己投影型」が多い気がする。
これは作者が「『キャラ×私』の小説です!」と言って作品発表している、という意味ではない。
いくら、pixivが世界中から猛者が集まる群雄割拠とはいえ、そこまでの豪傑はなかなかいない。
原作キャラと絡む「夢主」と呼ばれるオリジナルキャラクターが、自己投影しやすいタイプに書かれている作品が多い、という意味である。
自己投影しやすいというのは、名前や容姿など設定が細かくなく、良くも悪くも無個性なタイプということだ。
そうすることにより、想像の余地が生まれ、読者も自分を当てはめて考えやすくなる。
対して、夢主に名前があったり、キャラが立っている夢小説もある。
夢というよりは、作者のオリジナルキャラクターが、原作キャラと同じように登場人物のひとりとして存在している感じである。
これも夢小説業界では好みが分かれるところなので「夢主に名前がある」「夢主に個性がある」という注意書きがされている場合が多い。
さっきから好みが分かれっぱなしだが「夢」というのは文字通り人の数だけあるのだからしょうがない。
ただ夢小説を読んでいても「この人の書く夢主は好みのタイプだ」と思うことも多いので「夢主のキャラ」も夢小説の楽しみの一環である。
pixivでは一躍夢小説を有名にした「名前変換機能」を使った投稿は基本的にできない。
しかしあの「名前を入力してください」というダイアログボックスが出た瞬間、古の夢女たちは懐かしさで死ぬと思う。
ぜひpixivさんには実装を考えていただきたい。
- カレー沢 薫
- 1982年生まれ。無職。著作は『クレムリン』(講談社)、『負ける技術』(講談社)、『ブスの本懐』(太田出版)など多数。
趣味はエゴサーチ。