絵を描くことは面倒くさい。けどやめたって「諦め」じゃない/カレー沢薫の創作相談

文/カレー沢 薫
絵が上手くなりたいが練習できない。諦めるべき?
「推しに対するクソデカ感情を表す画力の限界」
これは伝説の神絵師デュフの富士の引退会見のフレーズとしてあまりに有名です。
それは嘘ですが「自分の思うように描けない」という悩みを持っている創作者は非常に多いです。
しかし、描かないことには上達しません。とにかく毎日描けば、自ずと上手くなります。
そう言いたいところですが、私は漫画家としてデビュー以来10年以上、毎日絵を描いているはずなのに一向に上手くならないし、むしろ変な手癖がついて年々取り返しがつかなくなってきているので「描けば上手くなる」とは口が後頭部まで裂けても言えません。
もちろん描きつづけることである程度は上手くなるのですが、やはり「才能」が関係する分野。「最初から描ける天才」「すぐ上手くなる秀才」「上手くなるのに時間がかかる凡人」そして「これだけ描けば嫌でも上手くなるはずなのにむしろ下達する逆天才」など、同じ努力をしても結果に差が出るため、「描きつづけてさえいれば、いつか理想の絵が描けるようになる」とはやはり言い切れません。
特別な才能がない人が上手くなりたいと思ったら「正しい努力」をしなければいけません。
「努力は裏切らないと言うけど、間違った努力は裏切るよ」というダルビッシュ有、もしくはマザーテレサかそれ以外の名言があるように、野球が上手くなるために毎日バットで人の頭をカチ割り続けても、別の技術は上がるかもしれませんが、野球は上手くなりません。
それと同じように絵も「推しの目のハイライト」など、自分が描きたいものだけ毎日描いても上手くならないし、肉眼では見えない「4分33秒」みたいな前衛アートが出来上がるだけです。
凡人が上達したいなら何事も基礎から、それこそ教本などを買って、謎の十字棒を引くデッサンから始めた方が良いです。
しかし、正直「つまらない」そして「面倒くさい」
推しとはいえ「面倒くさい」
そんなクソつまらない過程などすっとばして、いきなり推しのSSS(シコシコシコ)イラストや「これちょっと読んでみ、すげーから……」と言われるような激エモマンガを描きたいと思うのが人情です。
もちろん、いきなりそれに挑戦しても良いのですが、それをやると「頭に思い描いた通りに描けない」となってしまい、即引退会見を開くことになってしまいがちです。
しかし、やはり謎の十字棒からはじめるのは面倒くさいし、続かない。
私も、兼業マンガ家だったときは「今は会社とマンガで時間がないけど、会社をやめて時間が出来たら基礎から勉強し直そう」と思っていましたが、専業無職となった今でも十字どころか一字も引いてない、過去の因縁が何一つ起ってないるろうに剣心状態です。
このように「時間がない」は言い訳であり、あなたも健康とか家事とか色々事情はあるとは思いますが、根本的には「面倒くさい」から描かないのだと思います。
これは責めているわけではなく、本当に絵を描くというのは「面倒くさい」んです。
例え推しの絵であろうとも、推しの服に無駄についているベルトのピンを1本1本描いているときまで楽しいかというと、やっぱり面倒くさいです。
「何の理由もなく服がはじけ飛ぶ部屋に入った推し」を描くという手もありますが、そういうディティールを面倒くさがった絵というのは完成度が低くなりがちなので結局「自分が思ったのと違う」となってしまいます。
つまり、推しの目のハイライトなど、描いていて楽しい部分を描くために、あまたの「面倒くさい」を乗り越えなければいけないのが、絵というものです。
マンガになると面倒くさい度がさらに上がり、描きたい推しのキメゴマ一つ描くために、100人のモブや国会議事堂、戦車100台を描かなければいけないということもあります。
面倒くさいですが、それをやらないと、推しが無人の荒野でキメポーズしながら大演説をブチかましている痛い人になってしまいます。
画力を上げるのも面倒くさいですが、上がったとしても自分の思い描いたものを描くためにはまた無数の面倒くさいを乗り越えなければなりません。
もちろん思い描くものが壮大であるほど面倒くささも上がっていきます。
つまり「こんな面倒くさいこと仕事でもないのにやっていられるか!」となるのが普通であり、正常と言ってもよいかもしれないので「すっぱり諦める」というのもある意味正しい判断ですし、「練習して、思い描いた理想の推しを描きたい」という気負いを持たずに「気が向いたときに、服がはじけとんだ推しを描く」という、面倒がないスタンスで続けても良いのではないでしょうか。
描かないことは「諦め」じゃない
面倒な趣味ではありますが、99%の面倒くさいの後に入れる推しの目のハイライトや、完成したときの達成感は格別です。
また描いて発表し、他人に評価されれば、筆がノってきて、推しのベルトのピンですら描くのが楽しいという確変がやってくることもあります。
これらも全て、描かないことには得られないものですから、そういった「面倒の果てにある絶景」を想像してみると、モチベがまた上がるかもしれません。
それでも、その過程の方が面倒くさすぎるという場合は、すっぱりやめて良いと思いますし、世の中には自分の拙い技術で描かれる推しが不憫だから、最推しはあえて描かないという人もいます。
「自分で描くだけが愛じゃないわ、神絵師が自分の推しを描いてくれるのをじっと待つだけの愛もあるの」と、セーラーミルセン、もしくはヨムセンも言っています。
描かないという決断になっても「諦めた」ではなく「それが俺の愛の形だ」と思ってください。

いつも楽しく拝見しています。
頭の中には描きたいものはあるのですが、自分の技術が追いつかないので出力できないから練習しよう!絵が上手くなりたい!と思い、一時は、色んな練習ページを見たり、本を買ったりとしていたのですが、自分の健康状態や、一日の家事をしていると、あっという間に一日が終わり、練習する余裕なく終わります。細かい時間をかき集めれば……とも思うのですが、気力が沸かず、諦めることが多いです。
もう数年こんな状況で、今の環境を変えるのが難しい場合、絵を描くことをスッパリ諦めたほうがいいのかもしれない……と悩むようになりました。
せっかく描きたいものはあるのですが、もやもやした状態よりは……でも……と行ったり来たりしてます。同様の質問があった場合はすみません。お身体にお気をつけてお過ごし下さい。