原作を無視した作品が気になる。けれど「創作は残酷」/カレー沢薫の創作相談
文/カレー沢 薫
原作を無視した作品が評価されることが気になる
オタクというのはただでさえ原作の動きに一喜一憂爆発四散しなければいけないのに、何を間違ったか「創作」なんかに手を出してしまったばかりに、二次創作のムーブにまで頭(ず)を痛めなければならないという、創作オタクは一体前世で何をしたのか、乳児でも食ったのかと言いたくなるご相談です。
自分の気に入らない二次創作についての基本的アンサーは「見なければいい」なのですが、自分と違う二次創作スタイルがまるで界隈の公式のようになってしまう現象に穏やかでいられない、という気持ちはとてもよくわかります。
二次創作というのは等しく妄想ですが、妄想にも主流や流行りというものがあります。
例えば刀剣乱舞で言うと、鶴丸が落とし穴を掘っていたり鼻眼鏡をかけたり、光忠が料理を作ったりしている二次創作を、刀剣を知らない人でも一度は見かけたことがあるのではないか、と思います。
よって原作を全く知らない人は「原作ゲーム内にそんな描写はない」という衝撃の事実にまず驚くのですが、これは刀剣創作者が一斉に鶴丸が鼻眼鏡をかけている集団幻覚を見たわけではなく、まず誰かが「原作では描かれてないけど、このキャラ鼻眼鏡かけてそうだ」という己の解釈を形にして発表し、それを見て「その解釈いいわ」と思った者たちがフォロワーとして続き、最終的にあたかも原作がそうであったかのように広まるという現象は現在決して少なくありません。
これは解釈違い派からすると地獄であり、己と違う解釈が主流になることにより、界隈から自分好みの創作が激減し餓死、もしくは激増した地雷を踏んで爆死、というデッドオアダイ状態になってしまいます。
しかし、ご相談にも書かれていますが「こんなの原作には1ミリも描かれてねえから!」と叫んで流れを止めようとするのはやめた方が良いです。
確かに、自分がいつも明るい笑顔が素敵なキャラとして愛でている推しを「この笑顔には裏がある、実はサイコパスキャラ」として描かれ、それが主流になってしまった日には「何でも裏返すな! お前の体を靴下みたいに裏返してやろうか!」と言いたくなる気持ちはわかりますが、それを声に出して言ってしまったら、賛同者も現れるでしょうが当然反論者も続々現れ、いつもの学級会がはじまってしまうと思います。
創作者が創作を止める理由というのは、作品とは全く関係ないゴタゴタに巻き込まれて疲れて止めるというケースが結構多いのです。
元々、こんなところに相談を送ってしまうぐらい創作をする人間の心とはナイーブなので「あなたの創作は原作を無視していて不快です、もう描かないでください」というマシュマロという名のバフソを1つ投げられただけでもやめてしまう人はやめます。
趣味なのだから嫌なことに耐えてやる意味などないからです。
よって、あなたが気に入らないスタイルの創作者に文句を言えば、本当に相手は筆を折ってくれる可能性もありますが、もちろんその人の作品を楽しみにしていた人からは恨まれ、今度は自分が攻撃される側になります。
そうなったら今度は自分が描けなくなりますし、疲れて原作を読み込み、資料を集めて二次創作に挑むほどの情熱も消えてしまうでしょう。それはあまりにももったいないです。
原作をどれだけ勉強したかは関係ない
そして、あなたが原作と乖離している作品に苛立ちを覚えるのは「解釈違い」というのもあるでしょうが「自分より原作を勉強していない奴が人気になっていることに腹が立つ」というのもあると思います。
確かに、女体化異世界転生遊郭パロとか斬新過ぎる改変になると、もはや文句を言う方が野暮、嫌いなら見なければいいと割り切れます。
しかし「この二次漫画すごく面白いし、絵も上手いけど、このキャラの一人称は『おいどん』じゃねえし、あのキャラのことを『バンビちゃん』とか呼んだりしねえよ」というディティールの詰めの甘さは飲み込み難いものです。
つまり「こいつちゃんと原作読んでるのか」という苛立ちがあり、そんなエアプ野郎(仮)の創作が人気になり主流のようになっていくのが耐えがたいのだと思います。
ですが、創作の世界というのは「基本的に残酷」と理解しましょう。
原作を読みに読み込み、出ているグッズを全部買い、寝ている間もサントラで睡眠学習している人間が描いた絵より「原作未読ですが、最近お友達がハマっているキャラらしいので描きました!」という神絵師の絵の方にいいねがついてしまう世界なのです。
つまり、どれだけ勉強したかは関係なく、目に見えるテストの点数が全てなのです。
しかし、勉強するのが無意味というわけではありません。テストの点を上げるために原作を深く読み込むことも重要です。
よって、勉強してない奴(仮)が良い点を取ってちやほやされているのを見て、悔しいと感じたら「私はこれだけ勉強していて、あいつはしていない」と言うのではなく「自分がもっと良い点を取る」つまり、良い創作を作ることに注力するしかありません。
それに、自分が良い作品を出せば「その解釈いただき」と思ったフォロワーが続き、あなたのスタイルが主流となっていくのです。
自分が「創造主」になれるかもしれない、というのも二次創作の楽しみの一つです。
気に入らない流れは文句でせき止めるのではなく作品で流れ変える、解釈違い畑を焼くのではなく自分の畑を耕す、暴力は良くないからラップ(作品)で殴るというヒプノシスマイク理論を忘れないようにしましょう。
つまり相談文に書かれているように「いまに見ていろと筆を握り、スクリーンショットを撮りまくる日々」を送るのが正しいです。
よく見たら、相談文の段階で全部答えが出てきました。私が答える必要すらなかったかもしれません。
私はしがない小説書きで二次創作も一次創作もそれなりに自分のペースで楽しんでいます。私は二次創作を書く際にはできるだけ、私自身の知識不足が原因となって原作と大きく乖離することのないようにと思っています。せめてキャラクターの一人称をはじめ、現時点で判明していることに沿って書こうと原作を読み込み、やりこんで、資料集めにいそしむタイプです。
私のスタイルを他者に強要しようとは思いませんし、そこを二次創作全般の評価点における最重要項目であるなどと拡声器で言い回るほどではありませんが……。
どうしても、原作を大きく無視している二次創作作品がSNSで回ってくると気になってしまいます。
それは違うよ! と裁判でもないのに言うのは野暮、楽しんでいる人たちを糾弾しても意味はない、そもそも作者は原作と違うと分かっていて、あえてで変えているのかもしれない。
しかしそうと分かっていても、なんだかもやもやして、さらにそうした作品が絵の可愛さや文章の官能性などを理由に評価されているのを見ると正直苦虫を噛み潰した顔になります。いまに見ていろと筆を握り、スクリーンショットを撮りまくる日々です。
自分とスタイルが違う創作者や作品に対し、どうすれば泰然としていられるでしょうか?